スタッフ・キャストによるイスラエル・パレスチナ滞在記

2011年7月アーカイブ

ピンクスバルが出来るまで Vol.2


主演アクラムとの出会いは僕の人生に大きな変化をもたらしましたが、もう一つの大きな出会いは「ピンクスバル」のエグゼクティブプロデューサー、この映画のゴットファーザーとも言える、宮川秀之さんとの出会いです。

 


宮川秀之さんの経歴には余りにも膨大な物語が詰まっています。

全部ここに書くとそれだけで本になってしまうほど多くの偉業を成し遂げられた方です

 


60年代にオートバイで世界一周旅行をしながら、イタリアでマリーザさんという将来の伴侶と運命的な出会いをし、のちに韓国、インド、イタリアから養子を迎え、現在ではお孫さんも含め20人近くもいる国際大家族をイタリアで築いた方です。

車に詳しい方なら誰でも知っている、カーデザインの鬼才ジウジアーロ氏らと「イタルデザイン社」を設立しイタリアの工業デザインを世界中に発信した事でも有名です。

現在はイタリア、トスカーナ州で東京ドーム8個分の面積もあるワイン農園で世界一のワイン作りに挑戦中です。「ニュースタートプロジェクト」という日本の引きこもりを10年間にわたり農園で預かって80人近く社会復帰させるという偉業も成し遂げています。

 


宮川さんとの出会いは、当時ニューヨークから帰国したばかりの僕に某テレビ局のプロデューサーが、"まだフットワークの軽いうちに、イタリアでワイン農園を営みながら様々な活動を行っている宮川さんの元に行ってみないか?何か価値のある事ができるかもしれない"とご紹介頂いた所からはじまりました。緊張の中お会いしてみると、とても気さくなユーモアのある方ですぐにうちとける事が出来ました。

 


手探りで住み始めたトスカーナのワイン農園で農夫をしながら、宮川さんと一緒に近くの文化センターやワイン組合を通して様々な文化交流をしました。宮川さんから異文化間のコミュニケーションやソーシャライズのコツ、言葉ではなく経験でしか学べない多くの事を教えてもらいました。映画「ピンクスバル」の撮影現場は多国籍で多くの言語が飛び交っていて、その中で自然と映画作りができたのは、人種のるつぼニューヨークからこのイタリアの片田舎に来ても国際的な環境にいられたからです。

 


アクラムと僕が交流を深め、宮川さんとアクラムも自然と食卓を囲む様になりました。

そしてこれが国際的なピンクスバルチームの基盤となったのです。

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